Japanesuque
< ELCAFLORAの源泉 >
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翼を得
空に舞えば
桜一色飛鳥川
「藤原古京の春」
画家「久米未寿子」がブログに上げた初めての作品
ELCAFLORA のストーリーはこの一枚の絵から始まりました
下の写真はこの絵が描かれた奈良県明日香村は甘樫丘からの風景
眼下に眺める最古の都
ここが数多の作品を生み出す「寿庵の庭」の舞台となる場所です
藤原京は奈良盆地の南方、現在の橿原市から明日香村にかけて築かれた飛鳥時代の都城です。
日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城で、平城京に遷都されるまでの日本の首都とされました。
上記の写真を拡大しますと右端の方に大和三山の姿が浮かび、その中に都が築かれていました。
さらに真っすぐ奥山の方を望みますと、
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』で知られる熊野古道「大峯奥駈道」が網の目のように敷かれる紀伊山地。
山上ヶ岳、大普賢岳や行者還岳、近畿最高峰の八経ヶ岳まで見渡せます。
ちなみに畝傍山の真向こうに見える美しい台形をした山が大峰山八経ヶ岳で、
実は奈良盆地の広範囲な場所から見えていることはあまり知られていません。
静かに密かに、大峰山の大々奥宮に見守られているのです。
左端の方に奈良市中心部、背後の山に草原部が開かれているのが山焼きで有名な若草山です。
上古代の奈良盆地は大和湖と呼ばれた肥沃なウォーターフロントで、耳成山の北あたりまで水際が来ておりました。
この湖の周囲を中心に様々な物語が繰り広げられ、倭という国が形成されていく情景が目に浮かびます。
大和湖の東岸には古事記にも記される古道「山野辺の道」が現存しており、
4世紀初頭にはその名が見られる日本最古とも言える道であり、当時の人々の往来を偲ばせます。
奈良にいて過ごす時間の中、描きたい気持ちを抑えられない私はまず色鉛筆を購入、最初期の絵は色鉛筆画ばかりでした。
それは、住まいすることになった古い家の庭から始まったようです。
四季折々に咲く花
白蛇の棲む古木
そぼ降る雨に沈着してゆく庭の風景
一気に描きはじめたきっかけとなった庭は、ちょうど大和三山、天の香久山、耳成山、畝傍山に囲まれた場所にありました。
描く度に描き方の変わる絵が結構溜まっていた頃のこと。
「みつこさんに紹介したい方がいるのでご一緒して下さい」
と私に声をかけてくれたのは、その家に出入りされていた市の福祉課の女性でした。
「必ずその絵を持って行って下さいね」
ちょうど耳成山を挟んで向こう側にある古い集落に一際目立つこれまた古い大きなお屋敷は、
土地の小字名になったほどの歴史を持つ家らしく、その広大な家屋敷にいらしたのはたったお一人の70代のご婦人でした。
秀吉の頃にお城がおとりつぶしになり、平地に下られましたがお名前は今も城跡名に残る城主のお屋敷。
これも時の流れなのでしょう。
「この家の最後を見届けることが出来る人は君しかいない、僕には到底できそうに無いんだ」
そうご主人は言い残されたそうです。
そのご婦人は私と私の絵を見比べるようにご覧になりながら私の話や名前、生年月日を聞かれた後。
「あなた、なぜこれを人にもっと見せないの?」
「個展でもホームぺージでもブログでも何でもいいからこの絵を世間の人々にお見せしなさい!」
ほぼ命令口調で言われた私。
そして素直にそうしたいと思った私は、パソコンの得意なとても心優しき方に相談してみたのです。
「絵のブログって作るの可能でしょうか?」
「ブログなら簡単です〜!すぐ作ってみますね♪」
今思えば、やっぱり。
なんと恵まれた環境に身を置いていたのかと有り難い思いでいっぱいです。
そして数年後、転機は突然訪れます。
「あなたの絵をファッションにしたい!」
という人が現れたのです。
ELCAFLORAを生み出したデザイナーK.Inagakiは、
偶然そのブログを見つけ2010年頃からずっと私の絵を見続けていてくれた人です。
2015年10月奈良市にてELCAFLORA創業
あの二つの古い屋敷がその後どうなったのか私には分かりません。
ただ、
時が違っても、いつか何かをそうやってどこかに繋げてみせてくれたり。
それまでの歴史は埋れているかにみえて実はそれぞれ重要な鍵を持っているのではないかと。
そんな気がする私であります。
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